細胞や組織を扱う研究者にとって、PBS(phosphate-buffered saline、リン酸緩衝生理食塩水)やDPBS(Dulbecco’s PBS)は欠かすことのできない試薬です。2022年に60周年を迎えたGibco™ブランドのPBSやDPBSは、おかげさまで多くのお客さまにご愛用いただいています。実のところ、PBSと称される試薬のレシピは1種類ではなく、使用目的などによってさまざまな組成が開発されています。代表的なバリエーションは、2価の陽イオン(カルシウムイオンとマグネシウムイオン)や、エネルギー源(グルコースやピルビン酸)の有無です。これらについては、当社のWebサイトや多くの解説書があるのでそちらをご参照ください。当記事では、細胞培養実験で日常的に使用されているPBSやDPBSの組成に着目します。なお本ブログでは、特に言及しない限り、pH7.4のPBSやDPBSについて記載しています。
▼こんな方におすすめです!
・細胞培養や組織培養をこれから始める方
・細胞培養や組織培養を実施している方
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PBSの組成のメーカー間比較
はじめに、GibcoブランドのPBS(製品番号10010023)の組成を確認します。そしてこの機会に、メーカー各社が細胞培養用として販売しているPBSの組成の一覧表を作成しました(Table 1)。これらの組成はWeb上の公開情報から入手しています。当社の培地・緩衝液などの組成は、製品ページに表示されているリンク先の組成表で確認することができます。当社の組成表は、含有物質名、分子量(g/mol)、質量濃度(mg/L)、モル濃度(mmol/L = mM)の一覧表となっており、大変便利です。当該PBSは塩化ナトリウム(NaCl)、リン酸二水素カリウム(KH2PO4)、リン酸水素二ナトリウム(Na2HPO4)を含有しています。Na2HPO4については、メーカーによって無水物と七水和物の違いがありますが、組成としては同等と言えます。C社のように、Web上で組成情報を見つけることができなかったケースもあります。
PBSの組成のレシピ間比較
次に、代表的な実験マニュアルに掲載されているレシピを比較します。PBSを自作している方は、毎回特定のレシピを参照されていると思います。ラボ伝統のレシピや先達の実験ノート、実験書のレシピに従っている方もいらっしゃるでしょう。ここでは、下記の3種類の実験書のレシピを確認します。比較するため、Gibco™ PBSも含めてTable 2にまとめました。
(1)「改訂バイオ試薬調製ポケットマニュアル(羊土社、2014)」
定番のマニュアルです。研究室に1冊はもちろん、個人で所有している方もいらっしゃると思います。
(2)「改訂細胞培養実験ハンドブック」(羊土社、2008)
こちらも定番の実験書です。
(3)「Molecular Cloning: A Laboratory Manual, Fourth Edition」(p.1820, Cold Spring Harbor Laboratory Press、2012)
分子生物学実験のバイブルとされています。Volume 3にレシピが掲載されています。
全てPBSと称される溶液であるにもかかわらず、レシピ間でかなりの違いがあります。なお、細胞培養用に限らなければ、PBSのレシピのバリエーションはさらに増えます。例えば、Cold Spring Harbor ProtocolsのRecipeのカテゴリーには、用途別に組成が調節されたPBSのレシピが多数掲載されています(こちら)。
Table 2によると、Gibco PBSの組成はその他のPBSとは一線を画しています。一方、レシピ(1)と(3)の組成は、Na2HPO4が12水和物か7水和物という違いのみで同等です。
Table 2から、細胞培養実験用のPBSとして採用されているレシピには、少なくとも3種類のバリエーションがあることが分かりました。
DPBSの組成のメーカー間比較
次に、市販のDPBSの組成を確認します。参考のため、Gibco PBSとDulbeccoが1954年の論文で初めて記載したDPBSの組成もまとめて、Table 3を作成しました。なお、Dulbeccoらによるオリジナルの組成にはCaCl2とMgSO4が含まれていますが、他の溶液との比較のため、これらを除いています。
参考文献
Dulbecco R & Vogt M (1954) “Plaque formation and isolation of pure lines with poliomyelitis viruses.” J. Exp. Med. 99(2) 167-82 (PMID: 13130792)
メーカー各社のDPBSの組成はほぼ同等であり、1954年のDulbeccoらの論文の組成に従って作られていることが分かります。DPBSは、市販のPBSと比較してNaClの濃度が低く設定されている一方、KClが追加され、pH緩衝のためのリン酸塩の濃度が高く設定されています。また、お気づきの方も多いと思いますが、DPBSの組成はTable 2のレシピ(2)の組成と同一です。以上をまとめると、「PBS」の組成として広まっているレシピには、少なくとも以下の3種類があることが分かりました。
- Gibco PBSなど、市販製品のレシピ
- Molecular Cloningなどのレシピ
- 実はDPBSのレシピ
もし、使用中のPBSの組成に確信が持てなければ、この機会にレシピを見直してみてはいかがでしょうか。思わぬ発見があるかもしれません。
まとめ
- 「PBS」と呼ばれる試薬には多様なレシピが存在しています。
- 調査できたメーカー3社の細胞培養用「PBS」は同じものとしてご使用いただけます。
- DPBSのオリジナルのレシピには、CaCl2とMgCl2が含まれていますが、これらを含有していないDPBSを各社が販売しています。
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