病理組織診断には、多くの場合、ホルマリン固定パラフィン包埋(formalin fixed paraffin embedded:FFPE)検体が使用されています。FFPE検体は室温下での長期保管が可能なため、多くの研究機関で診断後もFFPE検体が保管されています。近年、FFPE検体を用いたさまざまな遺伝子解析が報告されており、保管されている膨大な疾患検体の利用に注目が集まっています。既に国内外でFFPE検体を対象とした大規模な遺伝子解析プロジェクトなどが進行しています。
しかしながら実際にFFPE検体を用いた遺伝子解析実験を始めますと、さまざまな問題に直面します。特にFFPE検体から回収される核酸(DNA/RNA)の劣化レベルには注意が必要です。FFPE検体由来の核酸は、高度に分解および変性が進んでいるため、解析結果の精度に問題が生じたり、遺伝子解析に用いること自体が難しいレベルまで劣化している場合もあります。また研究室ごとの固定方法の微妙な条件の違いにより、回収される核酸の品質に差が生じてしまうことも確認されており、”FFPE検体で遺伝子解析ができるのか“という疑問を持つ研究者もいます。
そこで今回は、FFPE検体から回収される核酸の特性や問題点を整理し、適した精製法の提案と精製後の核酸の有効性の確認方法などをまとめました。FFPE検体中の核酸を理解し、以後のアプリケーションに使用できるレベルの品質のDNA/RNAをピックアップしていく工程を説明します。
▼こんな方におすすめです!
・FFPE検体を用いた遺伝子解析を計画している。または興味を持っている
・FFPE検体からの核酸精製でトラブルを抱えている
・特に長期(数年~数十年以上)保存されたFFPE検体の利用を考えている
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FFPE検体の細胞内の核酸(DNA/RNA)の劣化とは?
長期保存されたFFPE検体から分子生物学的な解析に適した核酸を抽出できる技術は、過去にさかのぼった疾患組織中のゲノムおよび遺伝子発現の研究にとって強力なツールです。
しかしながらFFPE検体由来の核酸(DNA/RNA)は高度に分解が進んでおり、時には逆転写反応やPCR反応のテンプレートとして利用できないほどに化学修飾による変性が進んでいる場合があります。こうしたFFPE検体由来の核酸の劣化にはさまざまなファクターが関わっていると予想されますが、主には組織摘出から固定、パラフィン包埋、保存のステップで劣化が進んでいきます(表1)。そのため、現在、遺伝子解析用に使用するためにFFPE検体を新規で作成する際に、こうしたファクターに配慮してサンプル調製を行うようにガイドラインが設定されているプロジェクトもあります。
図1は、凍結保存検体由来のtotal RNAとFFPE検体由来のtotal RNAをAgilent 2100バイオアナライザーで比較したデータです。このFFPE検体はFFPE包埋後約1年間保存した保存期間の短いサンプルですが、分解は大幅に進み、RIN値(RNA integrity number)も2.0未満まで低下しています。ただ断片化したRNAサイズは比較的大きく、ピークは500 nt程度にとどまっています。しかしながら保存期間が長くなるとともにさらに分解は進み、10年以上保存されたFFPE検体由来のtotal RNAはピークが100 nt程度になることが確認されました(図2)。
FFPE検体からDNAを回収する場合は、RNAと異なりDNAの断片化の程度は顕著ではありません(図3)。新鮮な組織由来のgDNAの電気泳動像のように、高分子の単一のバンドは確認できませんが、100~500bpにおよぶ広いサイズ分布のgDNAが回収されます。
FFPE検体から回収される核酸の収量は、DNA、RNAともに新鮮な組織サンプルから回収される収量の約50%程度が見込まれます。収量そのものは高収量で回収される場合が多いのですが、化学修飾による変性が進んでいる場合があり、酵素反応のテンプレートとして利用できない場合もあります。そのためFFPEサンプルからの核酸精製では最適な精製システムを選択し、さらに精製した核酸のクオリティーチェックを十分に行い、以後のアプリケーションに利用できるレベルであるかを判断する必要があります。
FFPE検体からの最適な核酸精製システムの紹介
FFPE検体は非常に特殊なサンプルであるため、一般的な新鮮な組織からの核酸(DNA/RNA)精製システムの利用は難しいです。このためFFPE検体中の核酸の回収に特化した精製システムの選択は非常に重要です。
FFPE検体からの核酸精製に特化した精製システムは以下の2点について十分な配慮がされています:
〇 低分子核酸の回収: FFPE処理により高度に分解が進むため、低分子化(<100 bp)した核酸でも効率的に回収できるようにデザインされています。一般的な精製システムを使用すると、低分子の核酸が排除されるものが多いので注意が必要です。
〇共有結合の除去のために強力なプロテアーゼ処理: 固定の際に、ホルマリン(ホルムアルデヒド)は主にリジン、アルギニン、ヒスチジンの窒素原子に反応し、その結果として、細胞中のタンパク質マトリックスの高度な共有結合を形成させます。またこの共有結合は主に環外に窒素原子を持つアデニン、シトシンを通して核酸にまで影響が及びます。さらにFFPE処理では、ホルマリン固定した後に、熱したパラフィンを添加して包埋します。この包埋処理の際に、熱が加えられることによって、さらに共有結合が促進されます。このように、FFPE検体組織内ではタンパク質-タンパク質間およびタンパク質-核酸間の網羅的な共有結合が生じ、また共有結合されなかった核酸分子も物理的にトラップされ容易に回収できなくなります。
FFPE検体からの核酸を効率的に回収するためには、この共有結合を除去できるように、最適化された強力なプロテアーゼ処理を行い、網羅的に形成された共有結合を分解し、核酸をフリーの状態にさせる必要があります。
サーモフィッシャーサイエンティフィックでは、FFPE検体用に最適化された核酸精製システムとして、以下の2製品を推奨しています(表2):
・Invitrogen™ RecoverAll™ Total Nucleic Acid Isolation Kit for FFPE
・Applied Biosystems™ MagMAX™ FFPE DNA/RNA Ultra Kit
スピンカラム法をベースとしたInvitrogen™ RecoverAll™ Total Nucleic Acid Isolation Kit for FFPEは、RNA解析用試薬のパイオニアであるAmbion™により開発された製品で、実績の多い製品です。ヒストンと強く共有結合しているgDNAと、分解されやすいRNAのそれぞれの性質の合わせ、Protease処理条件が丁寧に最適化され(図4)、1サンプルからDNA/RNAをそれぞれ単独で回収するプロトコールが用意されています。また次世代シーケンス解析用として、1サンプルからDNA/RNAを同時精製する特別プロトコールも用意されています。
磁性ビーズ法をベースとしたApplied Biosystems™ MagMAX™ FFPE DNA/RNA Ultra Kitは、これまでのFFPEからの核酸精製のノウハウを集結し、最高レベルのパフォーマンスが得られるようにデザインされた製品です。従来の脱パラフィン処理後の検体はもちろんのこと、キシレンなどの有機溶剤を使用せずApplied Biosystems™ TreffLab AutoLys M Tubeを用いた溶解プロトコールにより、安全で効率的なライセート調製が可能となっています。さらにThermo Scietific™ KingFisher™シリーズと組み合わせた自動精製が可能で、研究者の要望に応じた、DNA/RNAの同時精製から、単独精製まで最適化されたready-to-useのプログラムが作成されており、面倒な最適化の必要がありません(図5)。またマニュアル法でのプロトコールも作成されています。
FFPE検体から精製したgDNAのクオリティチェック
gDNAの収量とクオリティは、組織の種類や状態、固定の方法/保存期間などに依存してきますが、収量は1 mgのFFPE組織当たり0.1~3.5 μgのDNAが予想されます。これは新鮮な組織から回収する場合の約50%程度の収量になります。FFPE切片中の組織片は微細なことが多いため、回収されるgDNA量も低濃度になることが多いです。特に濃度が10 ng/μL以下になる場合は、Thermo Scietific™ NanoDrop™ シリーズのような分光光度計では、実際の濃度より高濃度に測定されてしまう場合があるので、注意が必要です(図6)。これはdsDNA(2本鎖DNA)で主に確認される現象です。より正確に低濃度のgDNA濃度の測定するためには、dsDNAに特異的に結合する蛍光色素で濃度測定を行うInvitrogen™ Qubit™ システムの利用をお薦めしています。
またgDNAの分解のレベルについては、電気泳動やAgilent 2100バイオアナライザーで確認することができます。FFPE由来のgDNAは、図3で示したように100~5000 bpのブロードなサイズで回収されることが予想されます。
このように、Qubitシステムや Agilent 2100バイオアナライザーを用いることによって、回収されたgDNAの濃度や分解のレベルを確認できますが、回収されたgDNAがどの程度化学的な変性を受け、以後のアプリケーションで酵素反応(PCR反応や全ゲノム増幅など)のテンプレートとして使用できるか否かについては、予測することはできません。これは、核酸精製のステップでのプロテアーゼ処理後も、アミノ酸やペプチド、その他生体分子に共有結合したままの核酸分子も残存するからです。またその他にもホルムアルデヒドによって誘導された化学修飾が残った状態である可能性もあります。このように、精製したDNA中に化学修飾が残存するDNAが存在するDNAをテンプレートとしてポリメラーゼ反応を行った場合、化学修飾は反応をブロックし、増幅を阻害します。そのためFFPE検体由来のgDNAを解析する場合、全gDNA中に解析に利用できるレベルの質のgDNAがどの程度存在しているかを予想することが大変重要です。
ここではリアルタイムPCRを利用し、回収されたgDNA中に酵素反応のテンプレートとして利用できるDNAがどの程度含まれるかを確認し、以後のアプリケーションに耐えられるサンプルか否かを事前に予想する方法を紹介します。
リボヌクレアーゼP遺伝子(RNase P)は、ヒトゲノム中に比較的安定的に1コピー存在することが分かっており、ゲノムを対象としたリアルタイムPCRでは、細胞数の指標や初期DNA量の補正のための内在性コントロールとして採用される遺伝子です。FFPE検体由来のgDNAの質の確認では、リアルタイムPCR反応に添加するgDNA量を一定量に揃えて、RNase PのCt値を比較することにより、テンプレートであるFFPE検体由来のgDNA中の機能性DNAのパーセンテージ(%)を簡易的に求めています。Applied Biosystems™ TaqMan™ RNase P Detection Reagents Kit(製品番号4316831)には、高品質のControl gDNA(Human genome DNA)が付属しており、このControl gDNAに対して、FFPE検体由来のgDNAのRNase P量を相対的に求めることができます。
図7では実際のFFPE検体中の機能性DNAの確認を行いました。実験では、さまざまな組織由来(結腸、乳房、子宮、腎臓、扁桃腺、皮膚、筋肉、膵臓、前立腺、卵巣など)で、保存期間も1年間から18年間とさまざまなFFPE検体(109検体)からInvitrogen™ RecoverAll™ Total Nucleic Acid Isolation Kit for FFPEを用いて精製したgDNAを使用しました。Control DNAも含め、1アッセイ当たり1 ngをインプットし、TaqMan RNase P Assayを用いて検出を行いました(実験の詳細:http://tools.thermofisher.com/content/sfs/brochures/cms_042785.pdf)。図5の増幅曲線のデータでは、同じ1 ngのテンプレートgDNAインプットで反応を行ったにも関わらず、Control DNAと比較し、増幅はかなり遅れており、40サイクル以降で増幅してくるサンプルもありました。またFFPEサンプル間でもその増幅のレベルは大きくばらついていました。
表3では、スタートgDNA量を10 ngとし、同様にTaqMan RNase P Detection Reagents Kitを用いて各サンプルの機能性DNAのパーセンテージ(%)を求めています(実験の詳細:http://www.insilicase.com/Downloads/methylation_ffpe_7.pdf)。保管期間の長いサンプルでは機能性DNAのパーセンテージ(%)が全体として低くなる傾向はありますが、表1で示したように、さまざまなファクターによってFFPE検体中のDNAはダメージを受けているため、画一な条件では解析が難しいことが予想されます。
このため、特にさまざまな条件で調製されたFFPE検体間で遺伝子解析を行う場合は、各サンプルの機能性DNAのパーセンテージ(%)を求め、解析の際に持ち込むスタートgDNA量を加減したり、解析に耐えうるサンプルであるかの判定を行う必要があるのではと考えています。
FFPE検体から精製したRNAのクオリティチェック
FFPE検体から精製したtotal RNAの収量は、gDNA同様に新鮮な組織から精製した予想収量の50%程度と予想されます。RNA発現レベルは組織間によって大きく異なり、さらにFFPE調製に伴う固定の方法や保存期間などのファクターが関わってくるため、gDNAよりも予想が立てにくくなります。一般的な例ですが、肝臓のFFPE検体の場合1 mg組織片から約2 µg、脳のFFPE検体の場合1 mg組織片から約0.4 µgの収量が予測されます。
濃度測定ですが、gDNAと異なり、total RNA測定では、NanoDropのような分光光度計でも比較的正確な結果が得られます。
Total RNAの分解レベルは、Agilent 2100バイオアナライザーを用いた確認が可能です。Total RNAはgDNAと比較して著しく分解が進んでいることが多いです。図1で示した状態のよいFFPE検体由来のtotal RNAではピークが500 nt程度ですが、基本的には100 nt以下まで分解が進んでいることを想定します。
RT-PCRベースの実験を行う場合、逆転写反応は、mRNAの3’末端のPoly(A)配列を標的としたOligo(dt)プライマーは使用せず、ランダムプライマーを用います。これは断片化したmRNAの末端を起点とした逆転写反応では3’末端部分のみに偏ったcDNAが合成されてしまい、正確な解析が難しくなるためです。逆転写後のPCR反応は、アンプリコンサイズがなるべく小さくなるようにデザインします。最大でも100 basesで、短ければ短いほど、より感度の高い、サンプル間の分解のレベルによるばらつきが少ないデータが得られます(図9)。
またRNAにおいても、濃度測定と分解のレベルの確認だけでは、RNAの質の確認は不十分です。FFPE作成に伴う固定/包埋処理、および保存に伴うRNAの化学修飾による劣化は生じています。gDNA同様に、リアルタイムRT-PCRを行い、機能性RNAのパーセンテージ(%)を確認し、以後のアプリケーションに利用できるレベルであるかを確認することが重要なポイントになります。
図10では、FFPE検体サンプルと対応する凍結保存組織由来のtotal RNAを用い、リアルタイムRT-PCRでFFPE由来のtotal RNAの機能性の確認を行いました。スタートのtotal RNAのインプット量を揃えて、内在性コントロールとしても使用されるGAPDH遺伝子の発現レベルを指標としてCt値の比較を行いました。この検証では比較的保存期間の短い(約1年間)を使用しましたが、その機能性のレベルにはばらつきが大きく、凍結保存組織と比較し、0.7~5サイクル程度のシフトが確認されました。このサンプルを使用し、次世代シーケンス(Ion AmpliSeq™ RNA Cancer Panel)でFFPE検体サンプル由来のtotal RNAが解析に耐えられるかを確認しました。結果、FFPE検体サンプルと対応する凍結保存組織由来のtotal RNA間で高い相関性が確認でき、十分に発現解析に利用できる質であることが確認できました(データ:https://assets.thermofisher.com/TFS-Assets/BID/Application-Notes/comparison-dna-rna-fresh-frozen-ffpe-app-note.pdf)。
まとめ
保管されているFFPE検体から分子生物学的な解析に適した核酸を抽出できる技術は、過去にさかのぼった疾患組織中のゲノムおよび遺伝子発現の分析が必要な研究にとって強力なツールとなります。
しかしながらFFPE検体では、固定/包埋技術や、保存条件/保存期間に影響を受け、、回収される核酸(DNA/RNA)の質は大きくばらつくことが予想されます。こうしたばらつきを正しく理解し、適切な精製システムを選択し、十分な機能テストで以後のアプリケーションに使用できるレベルであるかを判断することが効率的な解析に役立ちます。
当社はさまざまなサンプルから、質の高い核酸精製をサポートするシステムを多く取り揃えております。詳細は以下をご確認ください。
https://www.thermofisher.com/blog/learning-at-the-bench/dna_nap_bid_ts_1/
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研究用にのみ使用できます。診断用には使用いただけません。