オルガノイドは現在の生命科学でもっともホットなトピックの1つです。多能性幹細胞(ES細胞やiPS細胞)や組織幹細胞から培養容器内で作製された立体的な臓器様の構造体をオルガノイドと呼びます。平面の培養細胞や、比較的単純な細胞凝集体であるスフェロイドでは再現が困難な、臓器の複雑な構造や生理学的機能などを再現する新たな研究モデルとして注目されています。近年では、正常組織のオルガノイドだけではなく、さまざま腫瘍由来のがんオルガノイド(Cancer organoidまたはTumoroid)が開発され、抗がん剤の評価などに活用されはじめています。多能性幹細胞からオルガノイドを作製する場合、幹細胞の性質の維持を支える培地と基質は非常に重要です。本記事では、ヒト由来の多能性幹細胞の培養に焦点を絞って、当社の培地製品と基質製品をまとめました。
▼こんな方におすすめです!
・オルガノイド培養や3次元培養に興味がある方
・幹細胞の培養や分化誘導に興味がある方
・ヒト多能性幹細胞用の培地や基質を検討している方
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ヒト多能性幹細胞用の培地
細胞を維持培養するための培地の変更は、細胞の性質を変化させ、実験結果に影響する可能性があるため、むやみに変更するべきではないという考え方が一般的です。一方、より適切な培地を使用することによって、細胞の品質を維持できる期間の延長や、培養の効率(コスト・作業量・時間などの面で)の向上が期待できます。培地変更を検討する際は、変更後の培地で培養した細胞が計画している実験に使用できるかどうかを、本格的に移行する前に小スケールで確認しておくことが重要です。
現在、ヒト多能性幹細胞(ES細胞やiPS細胞)の培養にはさまざまな培地が使用されており、絶対のルールはありません。古典的な基礎培地であるDMEMやDMEM/F-12、ヒト多能性幹細胞用に浸透圧が調節されたGibco™ KnockOut™ DMEM/F-12(製品番号12660012)、細胞培養をサポートする成分が補充されたAdvanced DMEM/F-12(製品番号12634010)などのベースの培地に、KnockOut™ Serum Replacement(製品番号10828010)、GlutaMAX™ Supplement(製品番号35050061)、MEM Non-Essential Amino Acids Solution(製品番号11140050)、2-Mercaptoethanol(製品番号21985023)などを添加した培地が使用されています。このような培地は多くの実績がありますが、多数の試薬を常備しておく必要があり、原則として用事調製のため手間がかかります。そのため、多能性幹細胞用の調製済み培地や基礎培地とサプリメントがセットになっている培地製品がメーカー各社から販売されています。表1に、当社の製品を特徴とともにまとめました。
製品名 | 製品番号 | 特徴 | 血清 フリー |
ゼノ フリー |
動物成分 フリー |
フィーダー フリー対応 |
StemPro hESC SFM |
A1000701 | Geltrexコートとの組み合わせでフィーダーフリー培養を可能とした画期的培地。後続品の投入により新規導入には選択されなくなりつつある。 | Yes | No | No | Yes (Geltrex コート) |
Essential 8 Medium |
A1517001 | James Thomsonラボから発表されたE8培地の組成を参考にした培地。BSAを含まない8つの必須成分のみで構成され、ロット間差のリスクを低減。 | Yes | Yes | No | Yes (VTN-N コート) |
CTS Essential 8 Medium |
A2656101 | Essential 8 MediumのCTS製品。1次原料において動物由来成分を含まない(2次原料にヒト由来成分を含む)、組成既知のフィーダー培養用培地。 | Yes | Yes | No | Yes (VTN-N コート) |
Essential 8 Flex Medium |
A2858501 | Essential 8 Mediumの組成の改良により、従来の培地では毎日実施する必要がある培地のメンテナンス回数の低減を可能にした培地。 | Yes | Yes | No | Yes (VTN-N コート) |
StemFlex Medium |
A3349401 | 高い増殖支持性能で、培養困難な細胞株やシングルセル継代、ゲノム編集実験などのアプリケーションをサポートするフィーダーフリー培養用培地。 | Yes | No | No | Yes (Geltrex または rhLaminin-521 コート) |
StemScale PSC Suspension Medium |
A4965001 | 浮遊培養により高品質な多能性幹細胞を大量に得られるよう設計された培地。スケールアップに優れ、時間短縮と消耗品のコスト削減に貢献。 | Yes | No | No | Yes (浮遊培養) |
CTS StemScale PSCSuspension Medium |
A5869601 | StemScale PSC Suspension MediumのCTS製品。臨床研究などへの使用を視野に入れてゼノフリー化されている。 | Yes | Yes | No | Yes (浮遊培養) |
研究の進展の経緯から、ES細胞やiPS細胞はフィーダー細胞の上で維持・培養されてきました。マウス胎仔線維芽細胞由来のフィーダー細胞は、多能性幹細胞の未分化性を維持し、安定的な培養に寄与します。しかし、ヒト多能性幹細胞の培養においては、マウス由来のフィーダー細胞の使用は異種動物由来成分の混入を意味するため、下流のアプリケーションにおける制限要因となります。Gibco™ StemPro™ hESC SFM(製品番号A1000701)はGeltrex™マトリックスコートとの組み合わせでフィーダーフリーでの培養を可能とした血清フリー培地です。後続品の登場により新規に紹介する機会は減っていますが、現在でも多くの研究で使用されています。
ヒト多能性幹細胞の培地にはウシまたはヒト由来のアルブミン(BSAまたはHSA)が含まれることが多いのですが、アルブミンのロットの違いが培地の性能に影響することが懸念されていました。2011年、James ThomsonラボのChenらは、アルブミンを含まないわずか8種類の必須成分からなる培地(E8 medium)を発表しました(参考文献1)。そしてE8 mediumの組成をもとに開発されたのがGibco™ Essential 8™ Medium(製品番号A1517001)です。改良版として、臨床研究などを視野に入れた応用研究に適しているGibco™ CTS™ Essential 8™ Medium(製品番号A2656101)や、細胞のメンテナンスの手間を大幅に軽減できるEssential 8™ Flex Medium(製品番号A2858501)があり、培養条件にゼノフリー(ヒト以外の動物由来成分不含)が要求される場合の主力のシリーズとなっています。
通常、接着性の培養細胞はGibco™ Trypsin-EDTAやTrypLE™ Enzymeなどのタンパク質分解酵素を含む細胞解離試薬でシングルセルに分散させて継代します。しかし、ヒト多能性幹細胞はシングルセルに分散させると未分化性の喪失や接着率の低下のリスクが高まるため、完全には分散させずに小凝集体の状態で継代します(クランプ継代)。一方、単一クローンの取得やゲノム編集実験など、シングルセルでの継代が必要な場面も多くあります。Gibco™ StemFlex™ Medium(製品番号A3349401)は、シングルセル継代が必要なアプリケーションで優れた結果を得られるように配合された培地です。培地メンテナンスのスケジューリングや、アプリケーションに応じた基質・解離試薬の選択への対応など、研究者のニーズに応じて柔軟な使い方が可能な点も特長の一つです。
Gibco™ StemScale™ PSC Suspension Medium(製品番号A4965001)は、6 wellプレートやフラスコでの浮遊培養でヒト多能性幹細胞のスフェロイドを自律的に形成させ、未分化性を維持したまま浮遊培養するための培地です。浮遊培養は培養のスケールアップ(拡大培養)にも適した方法です。通常の接着培養と比較して、一定細胞数を得るために要する時間と培地消費量を削減できます。詳しくは製品紹介ページに掲載されている情報をご参照ください。また、臨床研究を視野に入れた培養には構成成分がゼノフリーとなっているGibco™ CTS™ StemScale™ PSC Suspension Medium(製品番号A5869601)をおすすめします。
使用用途とニーズに応じたフィーダーフリー培地と基質の組み合わせ
前章では、ヒト多能性幹細胞のフィーダーフリー培養用の培地製品をご紹介しました。フィーダーフリー培養では、培養容器の表面を適切な基質(マトリックス)でコーティングする必要があります。そこで、使用用途やニーズに応じた培地と基質の組み合わせを一覧にしました(表2)。
使用 用途 |
シングル セル継代 |
培養 スケール |
ゼノ フリー |
日程の 柔軟性 |
培地 | 推奨の基質 | |
応用 研究 |
No | 通常 | Yes | No | CTS Essential 8 Medium (A2656101) |
CTS Vitronectin (VTN-N) Recombinant Human Protein, truncated(CTS279S3) |
|
No | 拡大 | Yes | No | CTS StemScale PSC Suspension Medium (A5869601) |
不要 | ||
基礎 研究 |
No | 通常 | Yes | No | Essential 8 Medium (A1517001) |
Vitronectin (VTN-N) Recombinant Human Protein, Truncated(A14700) |
|
No | 拡大 | Yes | Yes | Essential 8 Flex Medium (A2858501) |
Vitronectin (VTN-N) Recombinant Human Protein, Truncated(A14700) |
||
Yes | 通常 | No | Yes | StemFlex Medium (A3349401) |
クランプ 継代 |
Geltrex LDEV-Free, hESC-Qualified, Reduced Growth Factor Basement Membrane Matrix(A1413301) | |
シングル セル継代 |
rhLaminin-521(A29248) | ||||||
No | 拡大 | No | No | StemScale PSC Suspension Medium (A4965001) |
不要 |
使用用途の面では、応用研究か基礎研究かで製品を大別できます。応用研究での使用を想定している場合は、Gibco™ CTS™(Cell Therapy Systems)シリーズの製品を選択してください(CTSシリーズについてはリンク先の資料をご参照ください)。浮遊培養系で維持・拡大培養する場合はCTS StemScale PSC Suspension Mediumの選択となり、基質は不要です。通常のスケールで接着培養する場合はGibco™ CTS™ Vitronectin (VTN-N) Recombinant Human Protein, truncated(製品番号CTS279S3)との組み合わせになります。Vitronectinは血清や細胞外マトリックスに豊富に含まれる478個のアミノ酸からなる糖タンパク質で、細胞の接着や移動に寄与しています。VTN-Nは62から478番目のアミノ酸に対応するポリペプチドで、E8 mediumとの組み合わせにおいてヒト多能性幹細胞の維持に優れていることが報告されています(参考文献1)。
基礎研究用の培地製品では、シングルセル継代、ゲノム編集実験などの難易度の高い実験を予定している場合は、StemFlex Mediumを選択してください。維持培養の継代(クランプ継代)と実験時のシングルセル継代とで基質を使い分けます。Gibco™ Geltrex™ LDEV-Free, hESC-Qualified, Reduced Growth Factor Basement Membrane Matrix(製品番号A1413301、A1413302)は、マウスEngelbreth-Holm-Swarm肉腫から抽出された基底膜成分の可溶化物で、ヒト多能性幹細胞の培養時の基質として広く使用されています。培養容器のコーティング用に希釈済みのReady-to-Use品(製品番号A1569601)も使用可能です。シングル継代時は、Gibco™ rhLaminin-521(製品番号A29248、A29249)でコートした容器を使用します。Laminin-521はヒト胚盤胞で発現するラミニンで、容器上で幹細胞ニッチを模倣することで多能性幹細胞の安定的な培養をサポートします。なお、rhLaminin-521はEssential 8 Mediumとの組み合わせでも使用できることが確認されています。
Essential 8 MediumとEssential 8 Flex Mediumの実用面での違いは、Essential 8 Flex Mediumが提供する培養スケジュールの柔軟性にあります。一般的な培地での培養では、継代または培地交換のために毎日作業する必要があります。一方、Essential 8 Flex Mediumは、継代の翌日に培地交換すれば、その翌日のメンテナンスが不要となり、2倍量の培地で交換すれば翌日と翌々日のメンテナンスが不要になります。そのため、月曜日に継代すれば、水曜日、土曜日、日曜日の作業を回避するスケジューリングが可能です(図1)。もちろん、30継代以上増殖性、多能性、核型に問題を起こさずに培養できることが確認されています。これらの培地に組み合わせる基質は、Gibco™ Vitronectin (VTN-N) Recombinant Human Protein, Truncated(製品番号A14700、A31804)が推奨されています。

図1. 従来の培地とEssential 8 Flex培地の培養スケジュールの比較
まとめ
本記事では、ヒト多能性幹細胞のフィーダーフリー培養に使用できる当社の培地と基質をまとめました。オルガノイド実験などの幹細胞の分化誘導実験において、素材となる幹細胞の品質維持は極めて重要です。高品質の幹細胞の安定的な培養とコストや労力の削減を両立させるために、当社が提供している培地や基質を上手に利用してください。ご不明点などありましたら当社テクニカルサポート(jptech@thermofisher.com)までお気軽にお問い合わせください。
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[参考文献1]
Chen G et al. (2011) “Chemically defined conditions for human iPSC derivation and culture.” Nature Methods 8(5):424-9 (PMID: 21478862)
Essential 8 is a trademark of Cellular Dynamics International, Inc.
研究用にのみ使用できます。診断用には使用いただけません。